旭川“北京”構想

 

 

旭川を北京(Beijing)にするのか!?

 

まぎらわしいのですが、そういうわけではなく、「北京(ほっきょう)構想」のことです。

 

『旭川周辺に離宮を作って北海道開拓を進めようとの計画があった。明治十年代のことだが、西京(京都)、南京(奈良)、そして東京がある。あとないのは北京だけだというのがその理由であった。もしこの地に離宮ができたならば、明治天皇や皇后は夏には涼を求めてこの地に滞在することになったろうし、あるいはのちの第七師団のなかには皇族の守護にあたる近衛連隊もできたかもしれない。そうなれば、北海道は札幌を中心に開拓が進むのではなく、旭川が北海道の中心になるはずだった。加えて、北海道はロシアと対峙する最前線基地として、政治的にも軍事的にも軋轢が生じたかもしれない。いや日本全体の近代史は、様相を異にしたとも考えられる。』(保坂正康「最強師団の宿命」毎日新聞社、2008年、45頁)

 

今の神楽岡あたりが離宮予定地であった、とのことですが、当時の札幌・小樽の経済界からの猛反発、開拓使内部の薩長閥と土佐閥との確執、など、天皇や、非藩閥系の人々にとっての新天地北海道のもつ当時の政治的意味合いを考えると、なかなか興味深い歴史の一コマではあります。

 

ただ、この「旭川“北京”構想」が挫折すると、かたちは変わり(天皇ではなく、その権威を体現する)、札幌にあった第七師団の司令部が旭川に移転されることとなり、その後、旭川は「軍都」として発展したことはご案内のとおりです。

 

突然話は飛びますが、筆者は、この「北京」「軍都」が、北海道の地域再生モデルの有力な選択肢の一つになると思っています。もちろん、いまさら「離宮」、「師団」というわけではなく、もちろん、それも一興ですが、地域ブランドのユニークなコンセプトを全面に打ち出し、人を呼び込む「仕掛け」を盛り込んで世の(政府の、市場の)アテンションを高め(維持し)、人とカネの流れを作ろう、という、言ってみれば、マーケティングの分野では、ごくごく基本的な発想です。

 

3.11後の北海道の立ち位置は微妙です。東北地方の震災復興の陰で、否応なしに、世の関心は東北地方(と、もちろん、被災地としての関東、北海道)に向かいます。いやいや、北海道はまだまだインフラ整備が重要だ、と言っても、通常のニーズは、二の次、三の次、になることは避けられません。であれば、常に、北海道の存在感を発信し続けていかなければ、忘れ去られてしまうとも限らず、そうならないように、自身の持ち札(リソース)を総動員して、創意工夫を凝らし、中央(政府)や市場のアテンションを維持しうるような「仕掛け」を繰り出して行かねばならず、再生の鍵は、この「仕掛け」の出来具合にあると言ってもよいのではないかと思っています。

 

会社経営の落とし穴――名目取締役の責任【会社法務・企業法務】

 

社長に頼まれて会社の負債について保証人となった不幸な社員さん、等々、なかなか、社長に頼まれると断り切れずに、意図せざるリスクを負ってしまうこともあるようですが、特に田舎町では、いろいろな会社の取締役を兼務されているようなケースも多く、本業以外の思わぬところで足をすくわれることもありますので、要注意です。

 

一般論として、株式会社の取締役に就任いたしますと、①会社に損害を与えた場合の会社に対する責任、②株主、取引先等の第三者に損害を与えた場合の第三者に対する責任を負うことになりまして、なにかことがあった場合には、大変なリスクを負う可能性があります。

 

ただし、会社法上、①の責任については、免除される場合もあり得ることが規定されています。法律上は、「総株主の同意」があれば責任が免除されることになり、同族会社や一人株主の場合には、当該株主が同意してくれれば、責任を免除されることになります。

 

しかし、この「総株主の同意」は、事後的な同意、すなわち、何かことが生じたときに都度総株主に同意を頂くことが前提ですので、事前に、責任を免除する旨の同意(総会決議)を頂いておいてもその効力は疑問です。

 

定款の定めがあれば、責任限定契約として事前に会社と契約を締結して責任を制限(免除ではありません)しうる場合もありますが、これは、「社外取締役」という特殊な取締役の場合に限られます。

 

他方、②の第三者に対する責任に関しては、少なくとも法的には、事前にこれを回避しうる手段はありません。したがって、会社法上の根拠をもって完全にリスクを免れるようにしておくことは難しいのが現実です。

 

以上は、普通の取締役(取締役の実態のある人)の場合ですが、名前だけ取締役として登記されても実態のない取締役(名目的取締役)の責任について、判例を見ますと、事案関係によって結論が分かれているのが現状です。大まかに言えば、①報酬をもらっておらず、②会社の業務に一切関与せず、③単なる数あわせ、という要件がみたされる場合には、取締役として登記があっても免責される(責任を負わない)とされた事例もあるようです。

 

どうしても断れずに取締役として「名前を貸す」場合、株主さん、会社との間で、免責契約を締結しておく、という方策も考えられますが、上記のように、免責には、全株主の同意という一種の組織的行為が必要ですので、免責契約だけでは不十分です。

 

または、若干大げさですが、会社役員賠償責任保険(いわゆる、D&O保険)に加入し、その保険料を会社に負担頂く、という方法もなくはありません。ただし、その場合は、「無報酬」ではなく、少なくとも当該保険料部分は、報酬となり、当然、課税対象となります。

 

このように色々難しい問題がありますので、やはり、頼まれたからと言って安易に名前を貸す、のは、やはり、やめた方がいいと思います。

 

侮れない、不正競争防止法

 

 

稚内もそうですが、田舎町では、とかく、いろいろな話が出回ります。筆者も経験がありますが、Aさんに言ったことが、なぜか、巡り巡って、Zさんの口から耳に入り、何故にZさんがご存じなのか、唖然としたことがあります。

 

匿名性もなにもあったものではないので、ある意味、マーケティングの基本である口コミによる市場の拡大には貢献する都合のよいシステムですが(つまり、街全体が、twitterか、facebookみたいなものです。)、マイナスに作用する場合には、いささか困ったことになることもあります。

 

だいたい、他人のことを噂するときの人間心理は実に無責任なもので、実態として正しい場合もありますが、憶測や思い込み、誤解、が根っこにある場合が多く、時には、まったくの冗談、あからさまな悪意(悪口)、あるいは、ある種の営業上の思惑を背景として、特定個人間で語られたことが、当該個人を介して第三者に語られる場合には、こうした背景事情が「洗浄」され、あたかも客観的な事実と聞こえるような内容、かたちで、流布される、ということも少なくありません。結果、話のネタになった人物や会社は、突然、困ったことになる、場合によって、営業が立ちゆかなくなる、という悲劇的な事態もないわけではありません。

 

「口は災いの元」ではすまされない、つまり、地方においては、噂話や悪口の類については、よっぽど口の堅い信用のできる相手に限定しない限り、いつ何時、そうした「風評」の被害者として、あるいは、「風評」の加害者として、法律問題に巻き込まれかねない危険(リスク)を常に考えながら、行動しなければならないのが現代社会の有り様だということになります。

 

ここでいう、法律問題の一つの例としては、たとえば、不正競争防止法上の営業誹謗行為(2条1項14号)として警告を行う(警告を受ける)場合が考えられます。

 

営業誹謗行為とは、営業者にとって重要な資産である営業上の信用を虚偽の事実をあげて害することにより、競争者を不利な立場に置くことを通じて、自ら競争上有利な地位に立とうする行為であり、不正な競争行為の一つとされています。

 

営業上の信用、とは、営業活動に関する経済的な社会的信用をいうものであり、たとえば、商品の性能(品質)や、営業者の支払能力、営業能力に関する評価、などが含まれます。

 

また、「害する」とは、そういった営業者の信用を低下させる「おそれ」のある行為であり、現実に信用が害されたかどうか、は問題にはなりません。つまり、そのような「おそれ」があれば、十分に不正競争防止法の射程内に入りうる、ということになります。

 

もう一つ、重要な要件は、「虚偽の事実」ということですが、これは客観的に事実と反することであり、虚偽と思い込んでいても、結果として客観的事実と合致していれば、営業誹謗行為には該当しません。しかし、反対に、真実だと信じ込んでいても、結果的に虚偽であれば、営業誹謗行為に該当します。

 

いろいろご相談を受けていると、相手がいろいろなところで、これこれを言いふらしている「らしい」ということは多く聞きます。そうして、ご相談者はかんかんになっておいでになるのですが、「らしい」とはどういうことか聞いてみますと、近所でそういう話を聞いた、というだけで、相手から直接聞いたわけでもなく、確たる証拠もなく、ただ、当のご本人のみは、すさまじい形相でお見えになります。

 

そういうご相談者をなだめて事実関係を正確に把握するのは、実は、田舎弁護士が一番苦労するところなのですが、狭い地域社会の中で何が最善の紛争解決方法か、アドバイスするにあたっても、こうした「地方特有」の情報伝達システムを理解していないと、ミスることがあります。

 

最近のロータリーのスピーチより(抜粋、若干、加筆)

 

北海道の花粉情報?

 

 

イメージと実態とは異なる、という当たり前の教訓を今更ながらに思い出すことがあります。少なくとも、本州の非北海道関係者の間では、曰く、

 

 

その1 北海道には梅雨がない

 

その2 北海道にはゴキブリがいない

 

その3 北海道には花粉症がない

 


と、まことしやかに語られておりました。

が、最近、道路の水たまりなどにびっちり、黄色い粉末状の物質がたまっている様子を見かけることがあります。

黄砂、という説もありますが、どうやら、それが、

 

 

マツの花粉である

 

 

らしいと知ったのは最近のことです(北海道の花粉情報)。

当地では、関東のように、春先から、ゴーグルとマスクで完全武装、の人を見かけることがないのですが、同じ花粉症でも、北海道では、「スギ」花粉症、ではなく、花粉症、と言えば、

 

 

シラカバ花粉症

 

 

どうやら、北海道も花粉の猛威から逃れる術はないようで、花粉症も国民病のようです。

 

ただ、さすがに、北海道では、

 

 

ゴキブリはみない

 

 

そうです。

ただ、もし、地球温暖化が進行すれば、

 

 

ゴキブリが北海道で越冬できる時代が来るかも

 

 

しれません。

 

さすがは,アメリカ,超大国の貫禄十分です。

 

稚内の桜の開花宣言は,19日でした。これで今年の桜前線がゴールしたわけですが,根室の開花宣言は前日の18日,めでたく,今年もトリを飾ってます。

 

そんなニュースを見ながら,札幌出張の帰りに,珍しく(=稚内では,見かけない,という意味)デイリーヨミウリ紙などを売店で見かけまして,思わず,買ってしまいました。

 

リチャード・ハース(米国外交問題評議会議長)さんという方の論文が掲載されていたのですが,要旨は,

 

ビンラディンの殺害は確かにグローバルテロリズムに対する重要な勝利ではあるが、テロリズムの脅威を取り除けたわけではない,テロリズムの脅威は,病気と同じように予防が肝要,イスラム諸国の政治指導者たちが政治的動機による殺人に断固反対する声明を出せば有益だろうし,宗教指導者の役割も重要(pivotal),最近のアラブ諸国における民主化運動はプラスの潜在的変化であろう,ただ,パキスタンはテロとの戦いにもっと参加すべきだ(Pakistan needs to be become a full partner),今回の米軍の行動をパキスタンの主権侵害だという議論があるが,主権は絶対的なものではなく,義務を伴う,もし,このまま事態が変わらなければ,この種の米軍による単独行動が例外ではなく,原則(ルール)となるだろう(If things do not change, the sort of independent military operation carried by U.S. soldiers will become less the exception than the rule.),

というような感じです

 

たぶん,他の国の軍隊が自国の領域で行動すれば,普通は,黙っていないところであり,たまたま今回は相手が悪い,とパキスタンが軍事的に沈黙しているに過ぎないはずですが,なんと,

 

 

正義は我にあり, counterterorrisim の大義名分があれば主権侵害もOK,というルールに取って代わるだろう

 

 

実にアメリカ的というか,一国中心主義だの,大国の横暴だの,主権国家は云々,的な議論もあるでしょう。確かに、アメリカが正義をふりかざすとろくなことがないのですが,何が正義か(何をすべきか),の前に,細々とした「法的根拠」を議論するのは,いささか本と末が転倒しているのではないかとの感をぬぐいきれない筆者としては,なるほどねえ,という気がしてくるのです。

 

確かに,理屈をこねれば

 

 

けしからん理由

 

 

は,あげようと思えばいくらでもあげられるでしょうし,

 

 

そもそも米国が

 

 

などと大上段に言い始めたところで,何かの具体的な処方箋が出てくるわけでもない,むなしい議論です。

 

アメリカ的正義はともかく,一国のリーダーには,現にそこにある問題に対処するにあたり,その国のよって立つ基本的な価値観というか,正義のあり方について,ありとあらゆる雑音を排除して実践する,

 

 

蛮勇とも言うべき決断,ある種の思い切り

 

 

ができる資質が,特に非常時には,必要だったりします。

 

さて,翻って我が国の政策課題ですが,今何をどうすべきか,まじめに議論すれば,当然のことながら,リーダー達は,何をとり,何を捨てねばならないか,時として,身を切るような厳しい現実的判断を迫られることになるはずですが,どうしてどうして,多くの国民にとってどうでもいい内部抗争や政策課題とは関係ない非難合戦に明け暮れ,結果,事なかれ主義,問題の後回し,惰性で物事が動く,いかにも日本的ではございませんか。