万一の時の備えは,ただの無駄ではありません。

北海道の地震の際,稚内の停電は2日間でしたが,PCもスマホも電池切れで使えず,ガソリンスタンドも閉店,コンビニもスーパーも品物が入らず,生鮮食料品の棚は空っぽで,電力供給が再開したときは,いかに今の日本のインフラが災害に脆弱であるかを思い知った次第です。災害に対する強さ,あるいは,災害からの復旧に強いことは,社会がどこまで「無駄」という,万一のための備えを受け入れるかに依存するのかもしれません。

石狩,空知地方の一部が,わりと早くに電力復旧したのは,停止した大型火力発電所の復旧が早かったことではなく,空知地方の旧式な(効率の悪い?)発電機を再稼働したことが理由ですが,自前のディーゼル発電施設を持っている(たぶん,平時だと,時代遅れの旧式設備なのかもしれません。)道北の離島も,影響を受けませんでした。

万一の備え,というのは,いうのは簡単ですが,起きるか起きないかわからない万一の事態へ備えは,普段は,いわば無駄なコストです。

ひとたび災害が起きれば,「無駄」ではなかったことが証明されるのですが,将来のことについての予知能力でもない限り, 排除されても仕方がありません。それは,正常な経営感覚です 。

とはいえ,この無駄へ経営資源を割り当てることが,リスク管理です。無駄を否定してしまっては,身も蓋もありません。社会として,万一への備えとして,万一のことがおきなければ使われないことになる無駄,資源の浪費になりますが,という事態を受け入れることの価値を,再評価すべきでしょう。

そういえば,社会としての災害への備えは,与野党間の政争の具にされたのではたまったものではないのですが,どうも,組閣(内閣改造)と結び付けて,ことさら, 自身の得点稼ぎに結びつけようとする「ココロザシ」の低い政治家のいることは,誠に悲しい限りです。