北緯45°,幌延で見る中秋の名月

昨晩のすさまじい落雷と豪雨が明けて,一応,天気が落ち着いたところです。

今日は,中秋の名月らしいですが,北緯45°で眺めると,こんなふうにみえます。

ちょっと雲がかかっていますが,こういう感じでも見えます。

幌延の中秋の名月20150927-02

週明けからまた,お天気が下り坂だそうですので,貴重な晴れ間です。

 

 

猿払のキモマ沼に沈む夕陽。

稚内~猿払の峠道(山道)は,ところどころ紅葉がはじまっていますが,あまり目立ちません。

せっかく,夕陽を撮ったので,ということで,朝までねばって,オホーツクの朝焼けも撮ってみました。結構冷え込みますが,厳冬期に比べれば「温暖」です。とはいえ,若干,「四角い」感じも見えています。

猿払の朝日と漁船20150923-01

猿払村では,今年度,地方創生総合戦略の一環で,猿払村ふるさと寄付を行った人を無料招待し,移住体験ツアーやイベントなどを企画するそうです。道の駅さるふつ公園内に移住体験住宅も建設するそうですから,毎朝,家からオホーツクの日の出を拝めることになります。

 

「大型スーパー“閉店ラッシュ”」・・・確かに,稚内にはイトーヨーカドーもダイエーもありませんが,コンビニと地元のスーパーは両立しています。

「専門店の台頭により,食品や衣料品などを総花的にそろえた売り場では客を呼ぶのが難しく、リストラ以外に業績改善の糸口を見いだせていない」ことで,大型スーパーは苦戦を強いられているようです。

ただ,単純に不採算,と言っても,大量一括仕入れによる低価格化という商法が受け入れられなくなっただけで,地域のニーズに志向した地元スーパーは,依然,集客力を失っていません。不採算は事業が失敗した結果ですが,収益を上げることが事業の目的ではありません。新たな市場(価値)を創造すること,が事業の目的です。都市型のニーズと,地方,その中でも,地方都市と,地方の中の地方,のニーズは違います。また,子育て世代など,比較的若い世代は,専門店にはしる傾向にあることは間違いありませんが,地方の公共交通機関が次々と廃止される中で,高齢者世帯は買い物に行くことすら困難になりつつあります。

ニーズとは,必ずしも品揃えや値段だけではありません。たとえば,蛍光灯一つにしても,蛍光灯という商品を売るのと,商品と共に,電話一本で持ってきてくれて,取付て,使用法の説明までしてくれる,のとでは,事業の意味合いは違ってきます。

ものを売る,のではなく,顧客の課題を解決すること,顧客は,電球が欲しいのではなく,部屋が暗くて困っているのですから,これを解決してあげなければ,事業としては成功しませんし,収益も期待できません。

 

大金と貴重な時間を割いてやってくる旅行者が求めるものを受け入れ側の北海道内の事業者が知ることの難しさ。

北海道観光といいますと,(特に本州方面からいらっしゃる観光客は)自然,夏場の涼しい気候,アウトドア・スポーツ,といろいろとあるでしょうし,外国からのお客さんは,よくわかりませんが,温泉とか買い物(ただし,これは,北海道だけに限ったことではありません。),有名なドラマのロケ地巡りとか,一つ共通していることは,大金と貴重な時間を割いて北海道に来るには北海道に来るなりの理由があって,それは,日常的な生活空間では手に入らない,(非日常性という意味での)魅力がある,ということだと思います。

社員旅行などでは,日常的な仕事仲間や取引相手とともに,という日常生活の延長みたいなスタイルの旅も珍しくはありませんが,さいきんでは,むしろ,そうした団体旅行よりは,個人客の増加(団体旅行であっても,個人で参加するタイプの,実質個人ツアーみたいなものも含め)で,8月の稚内空港東京便の客数は,前年を上回ったそうです。

東京出身の筆者にしてみれば,稚内で起きることは,いまだに「非日常」を感じることが少なくないのですが(吹雪で道路や鉄道が途絶する,高速道路でないのに100キロ以上の猛スピードで走る車が多い,街中でシカが散歩している,汽車がクマと衝突する・・・),旅行者にとって魅力的な「非日常」的なものが,地元の人にとっては,多くは,実は,「日常的」な風景で,別になんてこともなく,場合によっては,同じ事象が,(都会人にとってのように)「魅力」ではなく「迷惑」と認識されていることも少なくありません。

確かに,町中にシカが散歩している風景にカメラを向けているのは旅行者のみで,地元的には,増えすぎたシカは,むしろ,交通事故や農業被害を引き起こす「やっかいもの」扱いです。立場や環境によって考え方などは異なるものですから,別に,旅行者とここで生活している人の意識,考え方が違っても不思議ではありませんし,正しいとか間違っている,とかいう問題でもありません。

ただ,日常と非日常のはざま,と言っても,結局,人の思考は,日常の範囲をなかなか越えられないものです。

北ドーム

稚内の市内で,地震保険に加入している例は,ほとんどない,と言われています。地震がないから,だそうですが(確かに,筆者がこちらに来てから,一度も地震が来たことがありません。),正確には,経験上,地震は来ない(と思っている),ということでしょう。災害もまた,「非日常」的事象です。「こんなにすごいとは思わなかった」「ここまで来るとは思わなかった」とは,実際に起きてみて初めてわかる,ということですが,災害のような非日常の事象について,なぜか,日常的な経験を根拠に,「あるはずがない」と思い込んでしまうのは,実に危険です。

非日常と言えば,「安全保障」も非日常の典型です。論者は,米国とアジアの某大国との対立構造に巻き込まれて危険と,おっしゃる。しかし,米軍の再編の結果,「巻き込まれる」どころか,米軍という,これまで「日常」の存在であった風景が,アジアから撤退するという大変動(「非日常」)が起こる中で,はじめて日本が独自の立ち位置を議論しなければならないときに,「巻き込まれる」的発想しかないのは,「米軍はいつも核の傘で日本を守ってくれる」というのと同じくらい,危険な思い込みです。