雲海のように見えます。早朝の稚内。

たまに早起きしますと,不思議な光景に出くわします。

市の西側にある裏山から市内を見下ろすと,まるで雲海です。

このところ朝が冷え込む(というか,涼しく)なってきたので,空気中の水蒸気が一斉に霧になった感じでしょうか。その後南下しても,昼前までは,場所によって,濃い霧になっていたり,そうでなかったり,この日は,相当広範囲で霧が出たようです。霧の日は,ライトをつけていないと危険です。

ところで,水田の風景は稚内では見られませんが,今年もそろそろ新米の季節のようです。

道北はお米と並んでそばの産地ですが,ちょうど,幌加内では新そば祭りです。

北電,「社員の今冬の賞与支給を見送る方向で検討していることが23日,分かった。同社は電気料金の再値上げを経済産業省に申請しており,賞与見送りにより利用者の理解を得たい考え。」って,何となくスジが違うような気もするんですけどねえ。

あまり,「吹雪で送電線が・・・」的経験のない都市部の人はぴんとこないから,「値上げするのはけしからん。身を切る姿勢がたりない。資金繰りが難しいなら,人件費を削れ。」とか,お気楽におっしゃるのかもしれませんが,真冬にそういう事態になって,遭難寸前で送電線に走っていただける北電の方には,本当に感謝しています。別に,北電の社員さんの不祥事でもないのに,なんで,「社員の賞与を・・・」となるのか,理解不能です。

役員報酬だって同じことです。北電の役員さんと言えば立派な方達です。相応の待遇があってしかるべしです。役員さんの不祥事が原因でないことも同じです。

燃料費がかさむ,といっても,どうしてそんなに高い燃料費を払わされているんでしょうね。

お客が殿様商売の北電だから,ふっかければいくらでも高値で買うだろう,と足下を見られているのであれば,足下を見させている北電さんも北電さんですが,国のために安い燃料を買い付ける努力をするどころか,国民から高い燃料を吸い上げてしこたまもうけている石油の元売りや商社の方が,よっぽど問題です。

稚内市で大雨,土砂崩れ。記録的大雨だそうです。25日9時現在,依然として,避難勧告発令中。宗谷本線も,稚内~名寄間は運転見合わせ(午前中の特急は,バス代行),とのことです。

一昨日からの雨で,土砂崩れです。

記録的大雨だそうです。 むかし,福岡で,いわゆる「バケツをひっくり返したような」雨に降られたことがありますが,それに比べますと・・・とか思っていると大間違いです。 自然は侮れません。

 

次にまた一雨来ますと,心配ではありますが,「避難」といっても,日頃からすぐ避難できるように用意,準備しておかないと,いざとなると,そう簡単に動けませんよ,ということを実感した次第です。

北防波堤ドームから眺めたハートランドフェリー。夏場は,ドームの中でテントを張っている人もいて,賑やかです。

むかし,稚内桟橋駅(サハリン方面への連絡航路の出発駅)のあったあたりから今のフェリーターミナル方面を眺めると,こんな感じになります。

 

ちょうど,利尻島行きのフェリーが出るところでした。 あまりお盆のシーズンにフェリーターミナルに行ったことはありませんが,せんだって仕事で島に行く用事があり,フェリーターミナルに行きましたら,悪天候でちょうど3日ぶりの運航,ということもあったのですが,なかなかの混みようでした。さすがは,レジャーシーズンです。 これで3500トンの船ですが,戦前に旧稚泊航路で使われた「宗谷丸」(南極観測船「宗谷」とは違います。)と同じくらいの大きさです。稚内にいますと,結構,大きく見えます。「宗谷丸」は冬季運航のため,砕氷船として設計されましたが,いまの稚内~サハリン(コルサコフ)の航路は夏季限定です。

稚内にあります,国の登録有形文化財です。瀬戸常蔵さんという,底引き網の親方の住宅として昭和27年に建築されたそうです。

茶室にあります,「自在かぎ」,「炉かぎ」ともいい,民家の囲炉裏の上に,鍋,釜,鉄瓶などを吊るための道具です。

オーダーメイドだそうですが,素人目にも分かる立派な金属細工です。

象牙製だそうです。

旧瀬戸邸は中央地区の街中にあって,なかなか場所がわかりにくいところにありますが,こういう古い建物が大事に残されているのは,関係者の努力に敬服するところです。今の時代では,過疎化や高齢化で地方にあまり元気のない時代ですが,展示されている昭和30年代,40年代の稚内最盛期の復港や,まだ樺太との間の連絡航路が生きていた時代の稚内駅を写した写真からは,工業化の発展を中心とする高度経済成長の姿とはまた味わいの違った,「天然資源で潤った時代」の,ややゴールドラッシュにわくアメリカの西部開拓時代と似通った雰囲気の稚内を感じることができます。