天北線(むかし,南稚内で宗谷線から分岐して,オホーツク海沿岸,周りで,猿払,浜頓別,中頓別,音威子府に達していた路線。平成元年に廃止。)が路線バスに転換されて,はや25年ですが,今でも稚内市内には,天北線の跡地を使った道路や,昔の路盤跡などの痕跡を見ることもできます。稚内駅ターミナルを出発する代替路線バスもたまに見かけますが,確かに,「浜頓別高校行」とか「音威子府行」とか掲示されていますと,いまでも,ちょっとした驚きがあります。 旭川方面に行くにはあまり使いようがありませんが,オホーツク方面(浜頓別とか,枝幸)や中頓別,音威子府などに用がある場合には,車がつかえない冬場など,このバスで行こうか,と思うこともあります。
この「天北線沿線自治体」で構成される地域公共交通会議では,「地域住民の8割が『天北線(バス)を利用しない』と回答している」などのアンケート結果を踏まえ,車体の小型化や区間を3分割するなどして自治体の費用負担を減らそう,というシミュレーションを行っているそうです。
この,「使わない」ですが,だいたい,筆者が昔住んでいた千葉県の(旧)本埜村滝野(千葉ニュータウン)でもそうだったのですが,確かに,本数が少ないとか,他の交通機関(北総線)との接続が悪いとか,車があるからいい,とか,様々な理由で,多くの住民が「使わない」を連発し続けた結果,滝野循環バスは廃止されてしまいました。たまたま別のバス会社が運行されているようで実害はないかもしれませんが,当然のことながら,利用者がいなくなれば公共交通機関も,なくなるご時勢です(国鉄も,天北線自身もそうでした。)。
いろいろ,贅沢なことを言っては,「だから乗らない」を言っていれば,そのうち,なくなります。「だから乗らない」と言っている人は,本当になくなったら,それはそれ,自己責任です。ところが,なくなってみると,やれ通院に困る,やれ買い物の足がない,やれJRまで遠い,等々,と,そのときはじめて公共交通機関のありがたみがわかっても遅い,ということです。
放っておいても社会のインフラを,誰かが維持してくれて,当然に存在し続ける,そういう時代は終わっており,必要なものは,それを維持する努力(少々便が悪くても,そこはご愛嬌,地域の足の愛用運動)をしなければ,そのうち,なくなるかもしれません。 もちろん,宗谷線も,他人ごとではないです。