双方に受け入れ可能な形で,最終的に解決・・・

日ロ共同声明ですが,日ロ両国の関係が広く,かつ深く発展することを期待したいと思います。

今回発表された日ロ共同声明は50項目以上の多岐に及ぶものですが,こうして眺めてみると,結構,日ロ両国間にもissueが存在していますね,ということで,改めて,ロシアが隣国(2国間が国境を接している)であることを思い出させます。換言すれば,それほど,近くて遠い国,であることが,日ロ両国とその国民の置かれた現実を象徴しているように思われます。

なかでも,「ビジネス・コンタクトの活発化、観光客の増加および人的交流の拡大を目的として両国国民の短期渡航の査証相互撤廃の展望についての省庁間協議を始める」という,いかにももってまわった表現ですが,要は,信頼の基礎は,相互の行き来を増やして交流を深めること,いちいち,なんだかんだ,招待状だのビザだの,うるさい手続があるだけで交流にブレーキがかかってしまうので,そうしたバリヤーを撤廃する「展望についてお話し合いをしましょう」ということのようです。

なかでも,「エネルギー,農業,インフラ,運輸等の分野における互恵的なプロジェクトの推進」や「同地域における協力推進のための両国間の官民パートナーシップ協議」,「日本貿易保険(NEXI)およびロシア輸出信用・投資保険庁(EXIAR)との間で,貿易・投資促進に向けた協力関係構築」といった経済関係のアジェンダが目白押しであるのも経済交流促進の意義を期待したいところです。

ただ,北海道的にはどうか,というと,通関のコストや時間,煩雑な手続,冷凍コンテナなどの輸送インフラの不足,自国産業保護のための不公正な関税措置,貿易システム(…なにやらむかしむかし,どこかの国にさんざん言われたフレーズに似てますが),債権回収のための司法インフラの未整備等々,そうしたちょっと首脳レベルで話には「小さすぎる」テーマがかえって重要だったりするわけでして,今回の首脳会談を機に,そうした「小さな」問題についても,ぜひ解決の一歩を踏み出したいものです。

 

最近,よくわからない政治的パフォーマンスが目立つようで

 

「尊い英霊に尊崇の念を表するのは当たり前のことであり・・・」

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その点については全く異論のないところですが,重要閣僚が,とか,政治家が大挙して(集団で)靖国参拝,というのにはどうも違和感を禁じ得ません。

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「尊崇の念」は政治家個人の心情の問題,かたや,「大挙して参拝」というのは,国内の有権者向けの政治的パフォーマンス,国内向け,という意味では,あちらの「反日教育」とあまりかわりません。

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有権者向けのパフォーマンスが出来ることは政治家にとって重要な資質であることは否定しませんが,それが国際問題にはねる性格の場合,そのはね方を計算に入れてある種の明確なリスク判断と戦略的意図でやってもらうならまだしも-- というか,本当に戦略的意図でこれをやっているとすると,「挑発」ですねえ--,単純に話がややこしくなるだけで何ら国益に寄与しないで終わる,悲惨な結果となりかねません。

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そういうリスク性のある行為について,「閣僚がどんな脅かしにも屈しない自由は確保している・・・」という,「なめんなよ」といっているに等しい低レベルの話にしてしまう総理も総理ですが,いずにしろ,その程度の話を国会で堂々と答弁されても,国政を付託している側の国境の住民としては,いささか不安ではあります。

「主権回復の日」という,これまたよく分からない記念日が出来たようですが,「完全な主権回復・・・」などと閣議決定する前に国内問題にはねることも,もうちょっと慎重に判断してほしかったところではあります。

 

 

きょうの稚内南ロータリークラブでのスピーチから

 

1.はじめまして。

北海道に来まして,5回目の春を迎えることとなりました。やっと気温も春らしくなってまいりましたが,今度は本州の方で雪が降った,とのことでございまして,なかなか一筋縄ではいかない天候のようです。

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そういえば,むかし,アメリカにいたころ,シアトルの総領事館の人から,アンカレッジ(総領事館)の人がシアトルに来ると,薄着,温かい,とっている,しかも若干毛深くなったかんがある,とかなんとか,冗談が本当かわかりませんが,おっしゃっていたことを思い出しました。

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ついせんだっても仕事で旭川に行きましたが(所属弁護士会が旭川弁護士会になります),旭川の弁護士さんに,「稚内の人が・・・」とか言われているのではないか,とちょっと気になります。確かに,アンカレッジは,涼しくていいところですが,空港にアプローチするところで,雪山だか氷河だか,わかりませんが,氷に向かっていく感じだったことを覚えていますが,さすがに稚内には氷河はありませんねえ。オーロラも。街中に鹿があることは共通ですが(ただし,あちらは「エルク」とか「ムース」とかいうもっとでかいやつですが。)。

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2.社会としてのバランス感覚

弁護士バッジをごらんになったことはありますでしょうか。

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あまり,縁のある方はいらっしゃらないように思います。そのデザインの意味について,はずかしながら当方もよく知っているわけではないのですが,よく見てみると,真ん中に「天秤」の絵がかいてあります。この「天秤」,これはもろもろの利害得失を正義の女神さんが天秤で計っている姿,いまでは,社会の正義とか公平とかの象徴と言われていますが,天秤の本質はバランスです。

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話は飛びますが,週末,ボストンでの痛ましいテロにつづいて,容疑者が拘束された,というニュースを見ました。ボストン郊外の閑静な住宅街での銃撃戦,というのは日本では信じがたい光景ですが,感心したのは,「これから公共交通機関を止める。バスも,地下鉄も。」とか言って市民に理解と協力を求めている警察関係の人と,ことが終わった後に,近隣の人が警察官に対して賞賛されていたことです。

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日本では,と想像しますと,法的根拠がどうのこうのから始まって,とにかく,手続,てかせあしかせ,そうしたものが,まず障壁として立ちはだかり,市街地での銃撃戦などもってのほか,権力の横暴とか行き過ぎた云々とか,結局,何もかにもまずは捜査機関に対する「批判」「苦情」はあっても,命をはって仕事をしている当局関係者に対して,別に,評価も感謝もなさそうです。

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うっとうしい話はとにかく人まかせで(ちなみに,当方は,「国が責任をもって」とか「自治体(行政)の責任で」とか,まあ,いろいろ,一方的にまくし立てる人の話は,話半分で聞いています。),うまくいってあたりまえ,というか,なにか「チョンボ」はないかと揚げ足をとるように重箱の隅をつつきまくり,ちょっとでも「失言」しようものなら鬼の首でもとったように大騒ぎして,やれ「●●責任」だの,「●●としての資質」がどうの,ひとをこき下ろして自己顕示欲に走るつまらない風潮も問題といえば問題ですが,それはともかく,やはり,国民が真の意味で国政や,もっと実生活に密着したレベルでは,生活インフラの提供や(北電さんも気の毒ですねれ。),まさにこうした犯罪対策に主体的に参加していない,「人任せお気楽無責任主義」にどっぷりとつかってしまっていることが気になるところではあります。

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それと報道では,今回の犯人は,確かに銃を所持し,街中で爆弾を爆発させたということのようですが,とはいえ,たとえば組織的背景があるのか,とか,もともと犯罪傾向の強い人なのか,というと,そうでもないらしく,いわゆる普通の大学生であったり,あるいは,まじめにエンジニアリングの勉強をしている,敬虔なイスラム教徒であったりする,つまり,普通の善良な一般市民がある日突然凶悪犯罪者になってしまう,その境目の希薄なことです。

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これは個人の問題なのか,社会の問題なのか,よくわかりませんが,いずれにしろ,対岸の火事で済んでくれればいいですが,現実はなかなかそうはうまくいきません。「安全」について,犯罪者と普通の人の境目が希薄になればなるほど,社会全体での取り組みが必要になります。つまり,「お任せ」「無関心」でも許されたり,皆が「特定の集団(地方,業界)の都合・立場」を喧々諤々言いあったり,「問題なのはおまえのせいだ」と責任を押し付けあっていてもなんとか社会が成り立ってきた平和な時代が終わったことを意味します。「安全」とか「安心」とかは,「自由」「人権」と緊張関係にあり,どちらか一方だけでもうまく行きませんし,「民」もまた,「政府はけしからん」的お気楽主義を卒業して,相互に,その役割と機能を正当に評価しつつ,民と官(行政)の責任の良好なバランスを社会として維持しないとまずいと思いますが。

旭川市内のバス事情

 

 

稚内の裁判所は,正式には旭川地方裁判所稚内支部,つまり本庁は旭川になりますので,もろもろ仕事の関係で旭川に出向いていく必要があります。また,筆者の所属弁護士会は旭川弁護士会ですので,弁護士会に用があれば,旭川に出向くことになります。

 

JRで旭川駅につきますと,裁判所や弁護士会はJR旭川駅からはちょっと離れた場所にありますので,歩いてはいけません。当然,バスかタクシー,ということになりますが,旭川のバス会社さんには誠に申し訳ないのですが,遠隔地から旭川を訪れる人にとって,

 

旭川のバス事情は最悪

 

というか,正確に言えば,

 

全くわからない

 

のです。

 

はじめての人でも,なんとか自分の行きたいところに行ける,そういう,ある意味基本的なquality of serviceに関し,旭川のバスシステムは一切無関心のようです。市内のバス停には,行き先と発車時刻が細かく記載された時刻表が貼ってありますが,路線図もなく,運行系統の説明もなく,料金システムの説明もなく,自分の行きたいところに行くには,どのバス停に来るどのバスに乗って,どの停留所で降りればいいのか,運賃はいくらか,小銭を用意しなくていいのか,PASUMOは使えるのか,旅行者の疑問に答える情報は,何もありません。仕方なく,毎回,バス会社の営業所で聞いている始末で,だんだんいやになります。

 

会員制の特殊サービスならいざ知らず,公共サービスにおいては,利便性,経済性に加えて,利用者に特殊の前提を要求しない一般性,そういったfactorは極めて重要です。地域住民の通勤通学や買い物需要だけを想定する場合には路線図や料金表を各停留所に準備する必要もないのかもしれませんが,外からの訪問者(「よそ者」)は最寄りのバス停も知りませんし,バスの運行系統も知りません。「よそ者」の不便など知ったことではない,ということは,「よそ者」お断り,に等しいポリシーですが,ちなみに,観光客も「よそ者」です。

 

「よそ者」目線は,サービスのあり方に限らず,人が自身の活動を再検証する上にで不可欠ですし,とりもなおさず,生活のqualityを高めたり,発展させることにつながります。異質的な目線を欠き,「よそ者」の利便性に対する関心を欠く社会やシステムは,発展性を欠くことことをストレートに意味します。決して,規模や人口,経済力だけがすべてではありません。

 

筆者は,別段旭川に対し「郷土愛」的ごひいき感を持ちませんが,そうしたクールな目線からは,確かに駅は立派になりましたが,まだまだ,古き良き「ムラ」の風景の中に安眠しているように見えます。