夏を感じる風物詩

世間的には日本の蒸し暑い夏を乗り切ろう,スーパークールズ2012の呼びかけが始まっています。当事務所でも,乗り遅れまいと,スーパークールビスの実施に踏み切りました。

日本の最北,といっても,夏場は暑さを感じることもあります。30度を超えることはありませんが,暑さもそれなりです。

とはいえ,さすがに6月では暑くありません。
日差しはきついですが,風は冷たいです。

事務員さんたちは,個人用の電気ストーブを抱えて仕事しています。

それでも気分の問題で,「軽装」しますと,気分も「軽装」になります。気分転換にも「クールビズ」は効果的です。

実は,「夏」を感じるのは,気温や湿度だけではありません。札幌に出張しようとして,突然申し渡される,「満席です」の回答。これをを聞くと,夏を感じます。

団体さんが2-3組も来ますと,4両編成のスーパー宗谷は満席になってしまいます。かといって,JRにはそれ以外の選択肢はありません。あきらめて自由席に乗るか,あるいは,日程を変えるか,くらいがせきのやまです。朝早いときはさすがに自動車は恐ろしいので,最近は,都市間バスを使っています。少々時間がかかるのと,特に冬場は,道路事情によっては,というところがネックであまり使っていなかったのですが,なぜか,JRはしょっちゅう遅れるし,止まるし,異常がなくても名寄以北はノロノロ運転だし,であれば,人の出入りが少ない都市間バスの方が快適であることに気がつきました。

車を運転するルートとほとんど変わらないところをバスは通りますが,自動車に乗るときの目線と,バスの車窓から眺める目線の高さが違うので,同じ道でも,いろいろ発見することがありますし,なかなか新鮮だったりします。

札幌周辺では,高架化工事や新規電化,路盤改良工事など,継続的に相当の資本が投下されています。他方,宗谷線など,特に名寄以北はそもそも事業として成り立たず(=不採算事業),とのことのようであり,収益性の高い事業に資本を集中すれば,収益性の低い不採算事業からの撤退,縮小は不可避であって,もちろんそれが事業再編の目的でもあるわけですが,せめて,多客期の夏場くらいは,編成を増やす,本数を増やす,など,公共交通機関の担い手として,「全国均一のサービス」水準を維持に向けた対策を打ち出してほしいものです。

 

 

決められない政治の不幸

 

 

結局,どこぞの首長さんたちは,原発再稼働を容認した,云々の報道です。ちなみに,筆者は,丘の上でグルグル回る風力発電の風車群を毎日眺めながら,特段,再稼働の「容認」でも「反対」でもなく,リスクを承知の上で,必要であれば動かせばいいし,いくら必要であってもとり得ないリスク量なのであれば,他の選択肢を考えるしかないでしょう,というスタンスです。

 

 

さて,そういう前提で,ちまたでなされているもろもろを,遠いところからクールに眺めてみると,いくつか特徴的な様相が目につきます。総じて,日本人は,党派的闘争は得意ですが,討論によって迅速に一つの国家意思を形成する民主的政策決定プロセスに本当に向いているのだろうか,という疑問です。

 

 

たしか,どこかの首長さんでしたか,「再稼働ありきはけしからん」だとか,「出来レース」だとか,関電側の対応を,ボロカスにおっしゃっておいででした。確かにそういうことなんでしょうけど,「再稼働ありき」に「再稼働阻止ありき」でぶつかっても,そこには党派的闘争があるだけです。しょせん人間の作ったシステムですので「絶対的安全」などありえず,不完全性やリスクがあって当然,そのリスク評価と管理は,経済性とテクノロジーの進歩との兼ね合いですが,そこをかつての某党政権が「推進派」「反対派」という党派的対立の観点で決めてしまった(党派的闘争のプロパガンダとして自ら作り出した「原発は安全です」という虚構に自ら乗っかってしまった)ことが原発という巨大,リスク性システムのガバナンスを甘くしてしまった大きな要因でした。他方で,原発「反対派」と呼ばれる人々をブレーンに抱えて政府や電力会社に吠えかかるのは勇ましい限りですが,その実態は,「党派的闘争」の再現に過ぎず,なんの解決にもなりませんし(でしたし),その首長さんたちは,ご自身たちが声高に主張してきた「説明責任」を果たしたんでしょうか。

 

 

原子力規制庁ですが,環境省との関係をどうするかは別にして,最終責任者は専門家に,という発想はどうでしょうか。「総理大臣はド素人だから」ということのようで,それはそれで異論ありません。では,「専門家」は,万能の神なんでしょうか。専門家は所詮,テクノロジーの専門家であって,意思決定や危機の際に国のリーダーシップをとる専門家ではありません。専門家がいくつか示す選択肢の中から,一つを選ぶ,その選択には,国民に対して全責任を負う,それが政治家の仕事です。「専門家に任せる」の発想は,「選ぶ」という政治家の機能を「専門家」に丸投げして,自分らは後世の批判を免れたい,というご都合主義の現れ,であるか,そうでなければ,単なる時間稼ぎ,総理を解散総選挙に追い込みたいがための「党派的反論」でしかなく,いずれにしろ,そんな話だったら,赤坂辺りの料亭でやってくれ,で,貴重な時間と大金を浪費して国会に持ち込むにはほど遠いレベルのお話です。

 

 

万能の神といえば,事故調査委員会の類いは,正しく機能すればテクノロジーの進歩に貢献しますが,後づけの知恵で批判して世論に迎合しても,得るべきものはないでしょう。ある映画の台詞ではありませんが,「事件は現場で起きている」のであって,政府だろうが,電力会社であろうが,その時々に入手しうる情報 ?? 通常は,きわめて限定的,かつ不完全です。場合によっては,最善を尽くしても間違っているかもしれません。 ?? を下に,厳しい時間的制約の中で,その時々に最良と考える決断を下す,しかありません。その結果は,将来でなければわかりませんし,神のみぞ知る,という厳しい現実の中でトップはその時々の決断を下さざるを得ない立場に置かれます。トップには後世の批判は甘んじて受ける度量が必要ですが,部外者が,過去に発生した事故を,その後に何が発生したのか全てを知っている「神」の目線で批判しても,人間は「神」ではない以上,人間社会における意思決定メカニズムの改善に役立ちうる将来に向けた教訓が得られようはずもありません。

 

 

情報隠し,とか,情報開示が遅い,とか,政府はボロカスに言われていましたが,記者発表にどれだけの労力と時間が取られることか,不完全であったり間違っていたりすればたたかれまくって最悪,筆者にも経験がありますが,ただでさえ時間的制約が厳しい中で,そういうものを準備しながらことにあたる政府関係者のご苦労には,むしろ,頭が下がります。

 

 

討論による民主的意思決定のプロセスにおいては,合理性というフィルターで取捨選択して一つの政策に高めて行くという姿勢が双方に必要なのであって,いさましく「打倒●●」を振りかざされてもいい迷惑です。