賃貸借契約においては,その終了のときに,賃借人は賃借物を「原状に回復させ,これに付属させた物を収去して返却」なりません(民法616条,同598条)。この「原状回復」ですが,大家さんのなかには,当然のごとく,「クロス,畳,障子は全部新品に張り替え,クリーニングも必要」だと思っていらっしゃるケースもあって,実は筆者自身も不愉快な思いをしたことがあります。
ちなみに,判例では,通常の使用収益に伴って生じる自然的消耗及び賃借人に過失がない場合や,不可抗力の場合には,賃借人に「原状」回復義務(債務不履行責任の一種)はなく,引渡時の「現状」で返却すれば足り,建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗及び経年変化についての原状回復義務を負わせ得るのは、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗及び経年変化の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の通常損耗補修特約が明確に合意されていることが必要ということになっています。
つまり,賃貸借は,賃借人に物件を使用させ,その対価として,賃料(家賃)をとる契約内容ですので,使用の対価である賃料を決定する際に,公租公課や時の経過,又はその物件の通常の使用収益の過程で生じる損耗分を減価償却費用等として含めてあってしかるべき,というわけで,
通常の使用収益の範囲で生じる自然的損耗や経年劣化についてまで賃借人の負担とさせることは出来ません。
他方,原状回復義務ではなく,賃借人に修繕義務を負わせる特約はどうか,といえば,賃貸人は賃借人に対し,「物の使用及び収益を相手方にさせる」義務を負い(民法601条),賃貸物の使用及び収益に必要な修繕をする義務を負いますので(同606条1項),物件に破損や障害が生じたとしても,その程度が賃借人の使用収益を妨げるものでない限り,賃借人は修繕義務を負いません。
「使用収益を妨げる」状態,というのは,判例は,厳格に解釈する傾向があるようで,「賃貸借当時少々古くなって多少破損の箇所があっても居住するのに殆ど支障がない」という程度のものは賃貸人の修繕義務の範囲として軽微な破損に対する修繕義務を認めない傾向にあるようです(大判昭5.9.30)。
とはいえ,「通常の使用収益の範囲」とか,「殆ど支障がない」とかは,実に,抽象的で,トラブルの種になりやすい内容です。そこで,国交省のガイドライン(『原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)』。現在,パブコメ手続き中。)でも,原状回復にかかるトラブルの未然防止の観点から,物件確認の徹底と原状回復に関する契約条件等の開示,就中,
賃貸人・賃借人の修繕負担、賃借人の負担範囲、原状回復工事施工目安単価などを明記している原状回復条件を契約書に添付し、賃貸人と賃借人の双方が原状回復条件についてあらかじめ合意しておくこと
が重要とされています。
なお,賃借人に原状回復義務が認められる場合でも,修繕費等の全額が当然に賃借人負担となるわけではなく,経過年数に伴う減価割合に応じて賃貸人と賃借人の負担が決まってくる場合もあります。また,壁紙・クロスを張り替える場合でも,毀損部分のみのクロスの張替えが技術的には可能であっても、その部分の張替えが明確に判別できるような状態など,建物価値の減少を復旧できていない場合を除き,当然に「当該部屋全体のクロスの張替え」費用が賃借人の負担となるわけではありませんので,念のため。