稚内の桜の開花宣言は,19日でした。これで今年の桜前線がゴールしたわけですが,根室の開花宣言は前日の18日,めでたく,今年もトリを飾ってます。
そんなニュースを見ながら,札幌出張の帰りに,珍しく(=稚内では,見かけない,という意味)デイリーヨミウリ紙などを売店で見かけまして,思わず,買ってしまいました。
リチャード・ハース(米国外交問題評議会議長)さんという方の論文が掲載されていたのですが,要旨は,
ビンラディンの殺害は確かにグローバルテロリズムに対する重要な勝利ではあるが、テロリズムの脅威を取り除けたわけではない,テロリズムの脅威は,病気と同じように予防が肝要,イスラム諸国の政治指導者たちが政治的動機による殺人に断固反対する声明を出せば有益だろうし,宗教指導者の役割も重要(pivotal),最近のアラブ諸国における民主化運動はプラスの潜在的変化であろう,ただ,パキスタンはテロとの戦いにもっと参加すべきだ(”Pakistan needs to be become a full partner”),今回の米軍の行動をパキスタンの主権侵害だという議論があるが,主権は絶対的なものではなく,義務を伴う,もし,このまま事態が変わらなければ,この種の米軍による単独行動が例外ではなく,原則(ルール)となるだろう(”If things do not change, the sort of independent military operation carried by U.S. soldiers will become less the exception than the rule.”),
というような感じです。
たぶん,他の国の軍隊が自国の領域で行動すれば,普通は,黙っていないところであり,たまたま今回は相手が悪い,とパキスタンが軍事的に沈黙しているに過ぎないはずですが,なんと,
正義は我にあり, counterterorrisim の大義名分があれば主権侵害もOK,というルールに取って代わるだろう
実にアメリカ的というか,一国中心主義だの,大国の横暴だの,主権国家は云々,的な議論もあるでしょう。確かに、アメリカが正義をふりかざすとろくなことがないのですが,何が正義か(何をすべきか),の前に,細々とした「法的根拠」を議論するのは,いささか本と末が転倒しているのではないかとの感をぬぐいきれない筆者としては,なるほどねえ,という気がしてくるのです。
確かに,理屈をこねれば
けしからん理由
は,あげようと思えばいくらでもあげられるでしょうし,
そもそも米国が
などと大上段に言い始めたところで,何かの具体的な処方箋が出てくるわけでもない,むなしい議論です。
アメリカ的正義はともかく,一国のリーダーには,現にそこにある問題に対処するにあたり,その国のよって立つ基本的な価値観というか,正義のあり方について,ありとあらゆる雑音を排除して実践する,
蛮勇とも言うべき決断,ある種の思い切り
ができる資質が,特に非常時には,必要だったりします。
さて,翻って我が国の政策課題ですが,今何をどうすべきか,まじめに議論すれば,当然のことながら,リーダー達は,何をとり,何を捨てねばならないか,時として,身を切るような厳しい現実的判断を迫られることになるはずですが,どうしてどうして,多くの国民にとってどうでもいい内部抗争や政策課題とは関係ない非難合戦に明け暮れ,結果,事なかれ主義,問題の後回し,惰性で物事が動く,いかにも日本的ではございませんか。